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東京ドームに春は廻るか?

      我がニッポン野球論      行燈省益

「驕る平家は久しからず」とはよくぞ言ったものである。つい数年前までは肩で風を切って闊歩していた、特にあの一リーグ制問題の時の’傲慢無礼’ぶりを絵に画いたような元オーナーも、最近ではめっきりおとなしくなったとみえて、以前の勢いとハッタリモもかなり少なくなったようである。それはそうだろう。マスコミに於ける自らの権勢の大きな背景の一つであった、巨人戦のテレビ視聴率がここまでがた落ちになれば。自分が新聞テレビに顔を出す度、かの巨人戦視聴率が1パーセントずつ落ちていくことに何で気付かなかったんだろう。日本のプロ野球は俺とジャイアンツで持っているんだという思い上がりと錯覚も、ここまで来ると逆に哀れかつ滑稽でさえあった。世論を見誤った。誰がこんな薄汚い男のチームを応援するもんか。いったい何百万というファンが巨人を見限ったことか。たんに世渡り上手の、一介の’成り上がりサラリーマンオーナー’にすぎなかったくせに、ちと調子に乗りすぎた。読売グループの社員誰一人として、彼に文句をつけられなかったなんて実に情けない。

旦那然として、ただふんぞり返って横綱稽古総見だけに顔を出していればいいものを。体の不自由な長嶋を無理やり引っ張りだしてツーショットをやらを世間に見せれば、起死回生の人気挽回策と思ったらしいが、しょせん短慮もいいとこ、逆にその薄汚い心底を野球ファンに見透かされて巨人人気は益々奈落の底に落ちていく。読売新聞の勧誘のお兄ちゃんが持ってくる巨人戦チケットを「こんなものいらねえ。マリーンズのはねえのか?」と突き返すと、最初はびっくりしたような、戸惑っていたような彼も急にひそひそ声で「じつはあの渡辺には我々も頭に来ているんですよ。」と言い出す始末であるが、ピントのずれたスポーツ評論家・コメンテーターに比べればまだこの勧誘のお兄ちゃんのほうがまともである。

何しろ彼ら巨人御用評論家の連中ときたら巨人戦視聴率の低迷を巧みにすり替えて、恰も日本野球の危機であるかのように喚き立てている。おい、それはちょっと違うだろう。今までのいびつで、不健全な野球人気(巨人一辺倒人気)が是正解消され、各地にフランチャイズ球団が散らばり、やっと日本にもまともで健全な野球人気が育ってきただけであろう。私も地上放送の巨人戦はほとんど見ないが、衛星放送のメジャーは欠かさず見ているしスポーツチャンネルのパリーグ・セリーグ戦もけっこう見ている。こういうファンはかなり多いんじゃないかな。今は子供の数が絶対的に少なくなっているけど、けっこう路地や公園などでキャッチボールや三角ベースに興じている子を見かけるし、少年野球チームもどこもけっこう子供たちでいっぱいである。だから野球の危機などという言葉がどこから出てきたのか不思議である。おそらく一部マスコミのねつ造であろう。まさに巨人人気の危機、それだけである。

前置きがずいぶん長くなったが、ここらで愛すべき我がニッポン野球について語らせてもらいたい。御多分にもれず私も物心ついたときからの巨人ファン、近所の家でテレビで見せてもらったた昭和34年の例の天覧試合の興奮は当時まだ小学2年生の子供ではあったが、昨日のことのように覚えている。それまで見たこともない、絶対打てっこないと思った村山の、ダイナミックな投球フォームから投げ出された白球を彼が見事打ち返したのを見て、すっかり長嶋に魅了されてしまった。それ以来ナイター中継が始まるのををわくわくする思いで待っていたものだ。でもあの当時人気のあった「野球教室」という番組であったと思うが、初めて彼の甲高い独特の話しぶりを耳にした時の違和感はいまだに残っている。それにしても何であんなにまで巨人と長嶋に熱狂したのだろう。ある意味日本が一番平和で幸せな時代であったのかもしれない。その後「自民党政権だから野球ができるんだ。」という風な長嶋の発言を耳にしたり、あまりに勝ち続ける巨人に妙に白けるものを感じてしだいに熱が冷めていった。でも相変わらず野球には関心があった。時折やってくる大リーグチームとの親善試合などは、学校から早く帰ってテレビに食い入るように見ていたものである。

あのころの大リーグとわがニッポン野球との、彼我の力の差はかなりあったけれどけっこうそれも楽しめたものだ。サンフランシスコジャイアンツのメイズやデトロイトタイガースのケーラインなどのスター選手のプレーはまだ覚えている。日本を代表する速球投手の金田や米田などがむきになって投げ込むストレートボールがいとも簡単にスタンドまで運ばれてがっかりした記憶もある。あのころは旅行気分の単独チームで来日しても日本チームはあまり勝てなかった。たまに勝つとそれは素直に嬉しかったものである。このころのニッポン球界はいわゆる鎖国野球状態、長崎の出島よろしく、レギュラーシーズンにやってくる少数の外国人選手もそのほとんどが向こうで使えなかった連中ばかり、ニッポン野球にあまり積極的影響は与えなかったと思う。阪急に来たスペンサーのスライディングぐらいだったかな。ましてこのころはメジャー中継などは全く無く、向こうの先進的テクニックとはほとんど無縁であった。たまに巨人がベロビーチキャンプに出かけて行って、帰ってきてからドジャース戦法などとやっていたけど。

したがって、日本独特の時として珍妙なる鎖国野球理論がうまれることになる。文化などの精神的なものであれば、鎖国状態であってもそれなりの味のある独特のものがうまれることもあるが、こと力学的合理性に大きく左右される運動・スポーツとなるとそうはいかない。わがニッポン野球には不合理かつ精神主義的なものばかりが蔓延ってしまった。何しろ世界相手に戦う必要がないから国内だけで好き勝手なことばかり言ってたなあ。そういう意味ではまだアマチュア球界のほうが、キューバなどを相手にしていたから考え方は進んでいたかもしれない。

鉄腕稲尾、権藤、権藤、雨また権藤、8時半の男宮田などが体がこわれるまで毎日のように投げまくり、野手は野手で千本ノック・素振り千本が美談として語られたものものだ。技術論でいえば、体重を後ろに残して打つ、いわゆる明治の大砲というあれ、ほとんどの選手がそれだったか、それに近かったような気がする。そう、今の巨人のニ岡、ああいうイメージ。だからゴルフ、日本では投手は体重移動を使うから総じてうまいけど、明治の大砲型の野手はあまり上手ではないようだ。その悪しき影響からか、最近のメジャーで活躍する日本人選手でさえホームランの数が極端に落ちる。あの口先だけのあほ評論家「江本タケノリ」が、松井はメジャーでホームラン王はもちろん三冠王も狙えると話しているのをテレビで見た時は思わず吹き出してしまった。こいつほんとに野球専門家かと。彼だけではもちろんない。ほとんどの評論家がそうである。文字通り、井の中の蛙大海を知らずだ。幕末に攘夷を叫んでいた連中とほとんどその頭のレベルは一緒である。何しろ日本には「野球バカ」という一般化された単語があるぐらいだから。

でも最近のニッポン野球のレベルもかなりと言っていいほど上がった。これは間違いない。来日するメジャー選抜軍も油断してかかるとひどい目にあう。情報が容易に入るようになったから向こうの技術や新しいトレーニング法も簡単に知るようになった。したがってパワー・スピードではまだまだ劣るが、日本選手もメジャーでかなり活躍するようになった。そう言うと野村や張本や大沢といったカビの生えた連中から「メジャーの実力も落ちたもんだ。俺たちのころはこんなもんじゃなかった。」という、ピントのずれた情緒的なお決まりの陳腐発言が必ずでてくる。ついでに言うと何年か前、オールスター戦で仰木監督がイチローにピッチャーをやらせたとき、評論家ども「野球を舐めてる」などと非難ごうごうだったけど、たしか30数年前のオールスターで弟の金田留がマウンドに上がった時兄貴の金田正一(投手だけど打撃がよかった)がピンチヒッターに出たけど、あれも同じことじゃないか?野村も張本も別所も西本もそのことには何も言わなかったけど。それどころか当時皆はしゃいでいたぞ。見ているこちらのほうが「野球を舐めるんじゃねえ。まじめにやれ。」と言いたいぐらいだった。とにかく連中ときたら今の若い奴は何から何まで気にいらないらしい。

50年以上にわたって、日本野球をファンとして見続けてきた者にとっては、こういう面での、相変わらずの「野球後進国ぶり」には呆れるばかりである。野球界、それもプロ野球界だけじゃないか?こんなまぬけな発言が通用するのは。そして何も知らない程度の低いスポーツ記者は、なんの反論もできずかえって取り込まれる始末である。どれもこれもそれまでの鎖国野球の弊害か。技術・トレーニング法の進歩で、今のピッチャーはほとんどの選手が140キロを超えるボールを投げる。150キロ以上を投げるピッチャーも何人かいる。昔は140キロを投げるピッチャーなんてそんなにいなかった。各チームのせいぜいエース級だけであったように記憶している。中日の小松がスピードガンの登場とともに速球王と言われて一世を風靡したが確か150キロは超えていなかった。それでも王は小松のストレートには振り遅れていた。客観的尺度のあるタイム競技と違って野球には非常に情緒的部分の占める割合が大きい。それがかえって野球の魅力であり面白さでもあるのだがあまりに非合理的発言・部分が多いのも考えものであろう。いろいろスポーツ競技がある中で野球だけじゃないか?あの「俺たちのころのほうが凄かった。」と言うのは。「フジヤマノトビウオ」は決して言わない。俺たちのほうが速かったとは。千葉すずのほうが速いのは明白だから。サッカーだって言わないだろう。東京オリンピックの前に行われた日韓戦を見た者にとっては今の日本サッカーの実力には目を見張るものがある。プロ野球だけに通用するこの理屈、要するに世界相手に戦う必要が無く、国内リーグで勝てさえすればよかったのである。

だからそいう意味からもWBCでの優勝は本当によかったと思う。これをきっかけとして真の意味で世界のトップで活躍する選手が出てきてくれるのを願うのみである。それには早く鎖国野球から脱却して、他の競技と同じように世界に飛び込んでいかなければならぬだろう。もちろん良いものは当然残して。東京ドームが再び満杯になることを念じて。

付けたり  第2回WBCでも日本が優勝して、それはそれで素直に喜ばしいことだけれども、どうも開催時期の問題や特に肝心のアメリカ自体の盛り上がりに欠けるせいか、前回同様、活躍の目立つのが怪我をも恐れぬ大和魂の日本とそれに異常なライバル心を燃やす韓国、それに国家の威信をかけてくるキューバだけというのが気にはなるところである。まあもっとも、回を重ねるにしたがってこれらの問題も解決されるだろう。サッカーもそうであったようであるから。

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